旧三井銀行小樽支店研究会で小樽のまちの成り立ちを学ぶ
Tags: ニトリ小樽芸術村, 旧三井銀行小樽支店, 旧日本郵船株式会社小樽支店, 歴史的建造物
ハッピーバレンタイン!今日は朝からドキドキの方も多いのでしょうか?愛を告白するのではなく、すっかりバレンタインは感謝を示す日になりました今日この頃です。
こんばんは!〝笑顔でコツコツ〟おたる案内人1級の智恵子です。
おたる案内人ではありますが、全然深くは勉強していないのでテキストに書いてあることしかわかりません。
そこに「ニトリ小樽芸術村」さんが小樽を学ぶ研究会を開催すると話を聞き、喜んで参加してきました。
情報が遅く、残念ながら1回目を逃してしまい、2回目からの出席です。
旧小樽三井銀行小樽支店研究会
何度見ても、かっこいい外観です。
昭和2年に竣工の鉄骨鉄筋コンクリート造でルネッサンス様式。
看板もおしゃれ。
特別感のある重厚な入り口でワクワクしながら入ります。
第二回 小樽のまちの成り立ち
入り口を入って、カウンターの中での講義です。およそ100名ほどが受講しておりました。
今回は、小樽市総合博物館の学芸員で館長の石川直章さんが「小樽のまちの成り立ちー旧三井銀行から小樽の歴史をみる」と題して講演してくださいました。
小樽は鰊で栄えたと言われています。身欠きニシンではなく、肥料としての鰊粕が需要があり、北前船で内地に移出していました。一時期は、一晩で9億〜10億円を稼いだというのですから想像を絶します。
また、日本で三番目にできた鉄道として知られる幌内鉄道。これは幌内の石炭を小樽港まで運び出すために作られ、この石炭が日本の近代化を支えたと言えます。
明治2年の小樽の人口は、2,600人。明治30年には、55,000人。明治40年には、90,000人。北海道に開拓移民が増加したのですが中でも小樽は特筆すべき増加で小樽に来れば、なんとかなると思われていたようです。
小樽港は、北海道の水産物だけでなく鉄道で運ばれた道央・道東の農産物も集まり商港として、神戸・横浜についで第3位にまでなりました。
多くの物資が小樽港に集まることによって倉庫業が発展しました。また、集まった原材料を利用して精米や醸造業も発展し手形決済の必要性に伴い、銀行が登場しました。
明治39年に日本銀行小樽支店ができ、三井銀行も小樽支店をつくったことから多くの金融機関が小樽に進出しました。最盛期には、25行の銀行があったそうです。
いやいや小樽すごいです!その当時の銀行建築の数々が小樽に風格をもたらしています。この素晴らしい建築を壊さずに活用してくださっている方々に感謝!感謝!です。もし壊してしまったら、この歴史に思いをはせる人が激減してしまっているでしょうし観光の小樽の姿はなかったに違いありません。(小樽運河については今回出てきませんでしたので、また後ほど)
旧三井銀行小樽支店の内部見学
講義の後は、自由に内部見学ができました。先日はクローズだったところも見ることができました!ちょっとだけご紹介します。
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