北のウォール街を作った人々について学ぶ
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こんばんは!〝笑顔でコツコツ〟おたる案内人1級の智恵子です。
第3回目の旧三井銀行小樽支店研究会に参加してきました。
今回のテーマは、「北のウォール街の経済」で小樽商科大学副学長の江頭進先生がお話しくださいました。
小樽は「北のウォール街」という言われ方をしていますが日本人のどのくらいの人が知っているのだろう?
本当のウォール街は北緯40度小樽は北緯43度なので、少し北にありますね。日本銀行をはじめ、多くの立派な銀行建築が並んでいるところを見ると「北のウォール街」と言われて、遜色なく思えます。
そんな小樽の経済を動かした一人目は小豆将軍と呼ばれていた高橋直治。
新潟からやってきて、新潟から産物を移入し道内の海陸物の移出をしさらには海外貿易も手がけていました。
高橋直治の邸宅として有名なのが、寿原邸です。
二人目は、小樽の海運王 藤山要吉。
秋田からやってきて、藤山汽船と藤山海運の他に漁場の経営もしておりました。小樽公会堂や小樽高商の建設に寄付をしてくれています。
ロシアへりんごや玉ねぎ、ビールなど輸出していたそうです。700tほどの小型船で輸出していたというのもすごいです。
三人目は、2000t近い大型船を保有していた板谷宮吉。
雑貨屋さんから始まり、精米業、醤油醸造業そして、海運業と事業を拡大しました。日露戦争の際には、旅順港閉塞作戦に船舶を2隻も提供して、名声を得ました。
高台にある旧板谷邸からは、小樽港を一望できます。
小樽の経済を動かした商人たちはみな「小樽を少しでもいい街にしよう!」という気概があり儲けるだけでなく、小樽にいろんな寄付などもしてくれました。
商人の街 小樽
この名に恥じない街でありたいと札幌市民の私が思った次第です(笑)
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